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最高裁判所第三小法廷 平成5年(あ)494号 決定

本籍

愛媛県西条市禎瑞六九二番地

住居

大阪市阿倍野区晴明通三番二〇号

会社役員

石井秋平

昭和四三年一一月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成五年三月一九日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人岡島嘉彦外四名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は事案を異にして本件に適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 尾崎行信 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫)

平成五年(あ)第四九四号

上告趣意書

被告人 岩井秋平

右の者に対する所得税法違反被告事件について、上告の趣意は左記のとおりである。

平成五年七月三〇日

右弁護人弁護士 岡島嘉彦

弁護人 竹村照雄

弁護人 藤原光一

弁護人 池尾隆良

弁護人 正木隆造

最高裁判所第三小法廷 御中

序論――本件事案の概要と争点

一、本件は、第一審判決において、被告人が昭和六一年分の実際総所得金額が七億八九三一万四四八〇円あったのに、株式の継続的取引による雑所得の全部を除外するなどの方法により所得の一部を秘匿して内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、所得税額五億三八五〇万七一〇〇円を免れた、と認定された上、懲役二年六月(執行猶予三年)及び罰金一億円に処せられた所得税法違反被告事件であり、弁護人の控訴申立に対し、原判決においても控訴を棄却され、第一審の有罪判決が維持されたものである。

二、被告人の主張は、株式の売買益による所得に対する課税について、被告人は課税要件を知らず、個々の取引の際における有価証券取引税の納付によってすべて納付済みであると信じており、その取引の手段方法その他の態様等には何らの秘匿隠匿行為がなかったのであるから、右不申告には逋脱の犯意なく、その行為も「偽りその他不正の行為」によるものとはいえない、というにあった。

すなわち、被告人は、一〇数年来主として信用取引による株式売買をくり返してきたのであるが、その取引の特徴は、毎年(毎回)多額多数回に及んでいるところ、

〈1〉 株式取引の名義は、被告人自身の名義であって、家族や知人などの借名や仮名を使用していない

〈2〉 株式取り取引の申込は、山一証券阿倍野支店の一店のみを通して行っている

〈3〉 取引の内容をみると、取引回数や取引量を少なくするような工夫工作を一切していない

〈4〉 右証券会社との保証金納付、取引損益の決済、配当金の受領には、ほとんど三和銀行天下茶屋支店ほか一行の被告人名義の単一口座を用いている

など、ひとたび調査すれば、その全容が直ちに明確となる手段態様であって、そのいずこにも税の賦課徴収を不能もしくは困難ならしめるような秘匿隠匿行為は存在しない。

加えて、本件被告人は貧農の家に生まれ、少年時代より苦労力行し、戦前戦後の苦難の時代を誠実かつ先見性をもって生き貫き、事業を成功に導き、会社経営の傍ら数多くの公私団体の役職を兼ねて、社会奉仕に心がけるとともに、出身地自治体をはじめ公私の団体等に対し、これまで七億五千万円以上にのぼる寄附を続ける等、清廉潔白無欲の人生を築いており、自己一身の利欲に走るが如き行為とは無縁の人物であった。前述株式取引も、それ自体がいわば被告人の隠された趣味ともいうべきものであって、政治経済社会の動向や、株価の変動には関心を払いつつも、日々の株価の値動きを追って眼前の利益を求め細かく売買をくり返すという取引態度ではなく、信用取引を主とし、それも清算期間たる六か月ぎりぎりまで保有を続けるという有様であり、昭和六一年の折からのブームによって本件のような利益をあげたものの、それ以前は損失ばかり目立ち、小野薬品株の取引では数億円になろうとする損失を出した(被告人はそれに格別動ずるところはなかった)。

三、かくして、本件においては、まず事実認定上、被告人が株式売買益における課税要件を認識していたか否かが査察当時から問題とされた。

右の点を認定する証拠としては、

〈1〉 被告人の取引を担当していた山一証券阿倍野支店営業第一課長(当時)堤竹勇及びその後任である金井正和の公判供述及び検面調書の供述

〈2〉 被告人の顧問であったという税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書の供述(起訴前死亡)

〈3〉 被告人が購読していた日本経済新聞の課税要件に関する記事

が法廷に顕出され、第一審判決及び原判決は、これらの証拠によって被告人が課税要件を認識していたものと認定し、有罪の結論を導いた。

右証拠のうち〈1〉については、営業の間被告人に課税要件を告げたとする供述が、法廷において、当時損失ばかり出していた被告人に課税要件を告げる必然性がなかったという客観的状況等を基本とする弁護人の反対尋問によって、その信用性が効果的に弾劾されたため、第一審判決においては、前記〈2〉の死亡者の供述が被告人の課税要件の認識を認定する中心的証拠となった。

四、被告人・弁護人は、第一審判決に対し、

1 検察官の訴追の遅れによって、前田税理士が死亡し反対尋問権行使の機会を失った不利益を一方的に被告人に帰し、任意性・特信性のない右前田税理士の査察官に対する質問てん末書の供述を証拠として採用した訴訟手続の法令違反

2 証拠の評価を誤り信用性のない証拠(前記三の〈1〉〈2〉)によって被告人に課税要件の認識ありとした事実誤認

3 本件のような事実関係の下における株式取引益の実質不申告行為は、所得税法第二三八条一項の「偽りその他不正の行為」に該当しないのに該当するとした法令適用の誤り

を主たる控訴趣意(ほかに量刑不当)として控訴を申立てたが、原判決はこの控訴を棄却し、第一審の有罪判決を維持した。

五、原判決は、

1 前記四の1の点については、前田税理士の供述時の状況や、同税理士が被告人の税務について顧問契約をしていた者で、被告人に不利益な虚偽供述をする可能性がないことなどから、同税理士の質問てん末書には特信状況を認めるのが相当であるとし、

2 前記四の2の点については、被告人は本件の昭和六一年においてはじめて株式売買による利益を取得し、それまでは損失ばかりであったこともあって、それ以前に株式売買による所得を申告した経験が全くないこと、本件当時証券会社一社と実名での取引をし、合法的に株式取引回数を減らすためのいわゆる総括表を用いるよう指示したこともない事実等に照らし、課税要件を知らなかったとの被告人の弁解も一概に不合理とはいえないとしつつも、被告人の長い会社経営の経験や株取引の実績から多額の利益があった場合に税金対策をどうするかとの点について一般的関心がなかったとは到底考えられないところ、前期三〈1〉の両名の課税要件を被告人に話した記憶がある旨の供述は、顧客に対する業務の重要性や、当時の課税要件強化をめぐる論議が新聞紙上を賑わしていたことなど等に照らし高い信用性が認められるとし、前記三〈2〉の前田税理士の供述についても、顧問税理士が安易に被告人に不利益な内容の虚偽供述をすることは考えにくく、その供述の状況や供述内容等から信用できるとした。

3 前記三の3の点については、被告人が課税要件を知りながら、故意に株式売買益を除外した所得税申告書を提出したことは明らかであるところ、いわゆるつまみ申告は所得税法第二三八条一項にいう不正行為にあたると解するのが相当であるとした。

六、本件について、被告人のこれまでの人生や人柄を知る弁護人にとって、基本的に疑問を抱くのは、国家権力はどうしてこれ程までに、証拠を作り、あれこれと首肯しがたい推理や論理を重ねて、善良に生きてきた人間を罪人にしなければならないのかという点である(弁護人の被告人に対する理解の内容は、第一審における弁護人の弁論要旨一七五頁以下参照)。

1 被告人の生いたちや戦前戦後を生き貫いてきたその生涯、地域社会への惜しみない物心両面にわたる奉仕、それらから一貫して窺い知ることのできる被告人の人柄性格からすれば、そして大阪府税地区審議会委員をし、所轄阿倍野税務署とも親交のある被告人にとってみれば、税務当局が一言、本件のような株式売買益が出れば総合課税の対象となる旨の忠告をすれば、被告人は自己の無知を恥じながら、何のためらいもなく、直ちに修正申告をし、遅滞なく本税全額を納付したことであろう(被告人は、一貫して課税要件の不知を主張して譲らなかったし、調査や捜査に対しても、良心に従って偽りなく相対したのも――反抗ではなく、自己の本当の姿を理解して欲しいとの願いに基づく――、決して課税を免れようとしたものではない)。

2 自己申告制の下における我が国所得税の納税確保について、税務行政では、法制面においても、実務の場においても、納税者の立場に応ずる段階的姿勢が存在する。まず第一段階として、所得申告時における指導助言がある(査察当局は、内定によりこの段階で被告人の株式売買益をあげた手段態様や不申告を知り得た筈であり、指導・助言が可能であった)。次に第二段階として、税務調査がある。この段階で申告漏れが発見されても、修正申告をさせて終わることがほとんどである。第三段階として、いわゆる査察がある。この場合は、事前の内定と広範な取引関係先を含めた強制調査によって全容が明らかとなれば、脱税の手段方法や脱税額に応じて検察官に告発され、最終段階として、検察官による捜査を経て起訴不起訴に至る(起訴される例が多い)。このようにして刑罰権の対象となる件数は、第一段階からの全問題案件の総数の中では、ごく少数ということができるであろう。

このように税務行政を全体としてみれば、そこには、国民感情を考慮し、納税意識の向上を念頭に置きつつ、苛察にわたらぬよう慎重な配慮が加えられるようになっている。すなわち、租税事犯における刑罰権の行使は、いわば伝家の宝刀として、他に方法なき場合の最後の権限発動である。

本件のような被告人に、本件のような行為に、どうしてこの最後の手段が容赦なく加えられる必要があったのであろうか。

3 課税要件を知らなかったとする被告人の主張に対し、査察官はあらゆる努力を傾注して、その主張を覆し、被告人が課税要件を知っていた旨の証拠を固めようとした。山一証券阿倍野支店の担当営業員に対する査察官の執拗な調査については、第一審公判において立証されたところであるし、それらの供述の問題点も指摘してきとたころである。税理士前田克彦の査察官に対する供述にも多くの問題点があり、ことに癌の重症であった同税理士に対する検察官の取調べが放置され、起訴前に死亡したため、反対尋問をするによしなかった事情も指摘してたところである。裁判所は、これらの供述の証拠能力や信用性の判断にあたり、これら供述者が「査察官」という立場とその調査態度の前に、いかにも建前論をもってとりつくろわざるを得なかったかに思いを致すことなく、また反対尋問行使の効果や、その必要性についても十分な考慮を払うことなく、証拠として採用し、信用し、有罪の判決を導いた。

これら一連の、そして一貫した「権力作用」が善良な国民の一人としての被告人を罪人にしようとしているのではないか、との思いがつのるのである。

七 弁護人は、右のような基本的な疑問点を控訴趣旨書に構成し、今ここに再び上告趣意書として構成し、最後にして最終の訴えをなして、最高裁判所に被告人の救済を求めた次第である。

本上告趣意書の骨子は以下のとおりである。

第一に、死亡した税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書が証拠として採用され、被告人の有罪認定の最も重要な証拠として位置づけられているが、同人に対する反対尋問ができなかったのは、検察官による訴追の遅れに起因し、それによって憲法第三七条二項に保障された被告人の証人審問権が奪われたこと、並びに、同人に対する反対尋問の必要性がその供述の信用性判断に不可欠の場合における刑訴法第三二一条一項三号書面の採用及び信用性の肯定は、結局右憲法の条項に違反するという点

第二に、被告人に課税要件の認識ありと認定したのは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるという点

第三に、本件のような株式売買の実態などの事実関係の下では、被告人の行為は「偽りその他不正の行為」によるものとすることができないのに、これを肯定して、最高裁判所の判例と相反する判断をしたという点にある。

よろしく事実に即して御審理の上原判決を破棄し、無罪の判決を賜りたい。

第一、原判決には、以下に述べるとおり、憲法第三七条二項に違反した重大な誤りがある。

すなわち、原判決は、死亡した税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書(昭和六二年四月一五日付、六月三日付、七月二一日付の三通)を刑訴法第三二一条一項三号により採用して、被告人が株式売買益に対する課税要件を認識していた旨の本件犯罪事実認定のメイン証拠に位置づけた第一審判決を是認した。

しかしながら、右前田克彦は、査察官の調査を受け、質問てん末書を作成された当時、癌の症状が進行し、重篤な状態になりつつあったものであるが、査察官はこの病状を見過ごし、本件の告発送致を受けた検察官もまた早期の取調べを行わないまま平成元年一月一一日同人が死亡した。かくして原判決は、検察官による本件捜査処理が著しく遅延したこと(検察官の客観的義務違背)によって、前田克彦に対する被告人、弁護人の反対尋問権行使の機会が奪われたという違法を無視したのである。

また、原判決は、右質問てん末書について、犯罪事実の存否の証明に対する不可欠性の要件(刑訴法第三二一条一項三号参照)を看過無視し、単に特信性の要件のみによって証拠能力を認めた上、その供述の信用性についても、多義的な評価判断が可能な状況にあって、反対尋問を行うことによってこそ確定が可能な事実関係を主観的一義的に評価認定した。かくして、原判決は、前田克彦に対する反対尋問権行使の必要不可欠性に何ら考慮を払うことなく、同人の質問てん末書の供述の証拠能力、信用性を是認するという誤りを犯したのである。

このようにして、原判決には、証人に対して審問する機会を充分に与えられるべき被告人の憲法上の権利を無視し同法第三七条二項に違反するという重大な誤りがあって、破棄を免れないものである。

一、税理士前田克彦に対する被告人・弁護人の反対尋問権行使の機会が奪われた点について

1 前田克彦に対する査察官の取調べは昭和六二年七月二一日に三回目の質問てん末書が作成されて終了している。本件起訴は平成元年五月二六日であるが、前田克彦は起訴に先立つ平成元年一月一一日に死亡した。右査察官の取調べが終了して実に一年五か月後のことである。

本件はすでに審理の経過に徴しても明らかな如く、株式売買益の不申告による逋脱事犯とされているが、その態様は、仮名、借名を用いず、自己名義による単一店舗を介しての売買といういわば単純明白な事案であって、被告人の課税要件に対する認識の有無のみが争点であるところ、通常の事件処理をもってすれば、前田克彦に対する検察官の取調べはもちろん、起訴後の裁判所による同人の証人尋問(少なくとも臨床尋問)も可能であったと考えられるのである。すなわち、本件においては、前田克彦に対する被告人・弁護人の反対尋問権の行使が十分可能であった事案である。

しかるに、本件起訴には、前田克彦の死後になされるという捜査処理の甚だしい遅延があったのである。

このような起訴の遅延が、検察官によって意図的になされたものとは認められないが、遅延そのものは、検察官の事件迅速処理という客観的な忠実義務に違背していることは明らかである。一方、本件処理の遅延に対し、被告人に何らの責めがないことは明白である。

2 かくして、被告人に対する国税当局の査察から検察官による捜査起訴に至る一連の国家機関の権力作用の中で、前田克彦に対する反対尋問権の保障は十分期待し得たということができる。

(一) 査察官による前田克彦の取調べ当時の同人の症状については、主治医甲田嘉彦がそのカルテ記載及び所見に基づいて具体的に証言するところであって、

ア 昭和五六年一月二九日 上顎腫瘍疑、五年の生存率五〇パーセント

イ 昭和五七年七月一一日 左鎖骨上窩に癌のリンパ節転移、生命的余後は非常に悪い状態

ウ 昭和五九年一月 血痰と咳の発作を起こす症状、六~七か所の肺転移

リンパ節の腫れは幅七センチメートルにもなって外部からも明らかに見える状態

エ 昭和六一年一二月 左側反回神経麻痺となり治療不能で声がかすれ、息もれがし、傷みも伴う状態

抗癌剤の副作用によって頭髪が抜けるに至る

オ 昭和六二年七月二二日 左の主気管と気管支に四、五センチの腫瘍が認められ、気管が著しく圧迫変形

横隔神経麻痺が認められ、左肺での呼吸状態悪化、血痰と呼吸困難を伴う症状となり痰がからんで死亡の危険性があった

カ 入退院を繰り返し、平成元年一月一一日死亡

等の病状の推移が明らかにされている。

査察官の調査が行われた昭和六二年四月ないし七月当時は、すでに右エ、オの段階に達していたのである。すなわち、昭和五六年一月に発見された症状が進行し、リンパ節の腫れは外部からも明らかに見え、声がかすれ、息もれがし、痛みを伴う状態から副作用によって頭髪が抜け、さらに血痰と呼吸困難を伴うという重篤な症状になりつつあったのであり、本人が訴えなかったからといって、これらの状況が査察官に看取されなかった筈はない。それに気付かなかったとすれば、慎重な配慮に欠け怠慢のそしりを免れないといわざるを得ない。

すなわち、査察官としては、同人の健康状態を把握し、これを検察官に告知して速やかにその取調べが行われるような所要の手続きを進めるべき義務があったのである。

(二) 検察官に対する本件告発は、昭和六二年八月ころになされているが、通常この告発に先立ち国税当局と検察官の間で事案の検討と協議が行われる。したがって、検察官としては、この協議の段階で、すでに、本件の事案の内容と問題点を把握し、速やかに捜査処理を遂げるべき認識を有することが可能であったということになる。そして、検察官の事件迅速処理という客観的忠実義務に照らせば、その義務履行が期待されて然るべきものであった。

3 刑事訴訟において、特に当事者主義訴訟構造の下で重視されるべきは、配分的公平的正義である。検察官の怠慢(客観的義務違背)による不利益を挙証責任を負うべき検察官が受けることなく、逆に被告人にのみ帰せしめるのはあまりにも明白に右配分的公平的正義に反している。すなわち、検察官によって前田克彦に対する被告人・弁護人の反対尋問権行使の機会が奪われたのであるから、その機会のなかった同人の質問てん末書は、証拠として採用されないことこそ右正義に叶うものというべきである。

4 後に述べるように、前田克彦の質問てん末書の供述、「供述書」の内容については、その供述の真否、真意、趣旨等を一、二審判決判示のように判断することは、一つの解釈、評価でありえても、それが誤りない真実に根ざすものと断定することはできない。その判断が正当であるかどうかは、正に前田克彦に対する反対尋問を行うことによって初めて明らかになるのであり、特にその供述が被告人の刑責の有無にとって決定的な意味を持つにおいては、尚更被告人の基本的権利の保障として、反対尋問権の行使が最も尊重されるべきが当然である。

5 以上考察のとおり、前田克彦の質問てん末書を被告人の犯罪事実認定の証拠として採用した原判決は、証人に対する被告人の審問権を保障した憲法第三七条二項に違反するものである。

二 原判決が前田克彦に対する被告人・弁護人の反対尋問権行使の必要不可欠性を無視して質問てん末書の供述の証拠能力、信用性を肯認した点について

1 まず原判決が、右質問てん末書につき、刑訴法第三二一条一項三号における、犯罪事実存否の証明に対する不可欠性の要件を看過した点について述べておきたい。

(一) 供述者死亡の場合における刑訴法第三二一条一項三号書面該当の要件として、法は

〈1〉「その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき」

〈2〉「その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるとき」

を想定している。

(二) 右要件の〈1〉につき、「犯罪事実の証明に欠くことができない」とは「その供述内容にして苟くも犯罪事実の存否に関連ある事実に属する限り、その供述がこれが事実の証明につき実質的に必要と認められる場合のことをいう」とした判例があり(東京高判昭二九・七・二四高刑集七・七・一一〇五)、実務の場でも、このような立場が是認されているように思われる。本件における第一審、原審もまた同じである。

(三) しかしながら、犯罪事実の存否に関連のないものとか、事実の証明に実質的に必要と認められないものを証拠として提出することはほとんどあり得ないことであるから、右2のような理解では、この要件はほとんど意味をなさないことになり、第三二一条一項一号、二号にないものを――そして一、二号にも規定し得たものを――わざわざ本号に規定した趣旨が沒却されることになる。そこで、この要件は厳格に解釈されるべきであって、他の適法な証拠では代替し得ない場合とか、他の証拠では同一目的を達し得ない場合をいうと解すべきこととなる。

これによれば、単に他の証拠により得た裁判所の心証を一層高めるのに必要欠くべからざるもの、ということでは足らず、常に本号以外の証拠の申請可能性との比較が必要となり、その申請が可能な場合は、本号のこの要件を欠き、証拠として採用することは許されないと解すべきである(注釈刑事訴訟法第三巻二三四頁)。

これを本件に即して考察してみると、本件株式売買益における課税要件を被告人が認識していた証拠として、検察官が取調請求したのは、

〈1〉 山一証券阿倍野支店営業第一課長(本件当時)堤竹勇及びその後任である金井正和の供述(第一審公判証言及び刑訴法第三二一条一項二号該当書面として採用された同人らの検察官面前調書)

〈2〉 税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書(三通)

〈3〉 日本経済新聞の課税要件に関する記事

であり、特に〈1〉〈2〉が課税要件を被告人に告知した事実に関するものである。これによってみると、本件犯罪事実の存否の証明に関しては、右〈1〉の証拠があり、その取調が請求されているのであるから、〈2〉についてみれば、明らかに〈1〉による代替性があって、「欠くことができない」ものではない。そして、代替性の有無は、証拠申請の可能性によってその段階で判断されるべきであるから、〈1〉の証拠調の結果検察官の所期する立証目的が達成できなかったからといって、にわかに不可欠性の要件が復活し、新たに〈2〉を採用して差支えないといういわれがあってはならないのである。

2 次に刑訴法第三二一条一項三号書面が犯罪事実認定の証拠として占める位置づけについて触れておきたい刑事裁判の実務の場で、特に選挙違反における買収事犯や贈収賄事犯にあっては、しばしば刑訴法第三二一条一項二号の検察官面前調書が、宣誓の上の法廷証言よりも措信できるとして、有罪認定に供せられている。法廷証言が措信できないとすれば、それは偽証の疑いが濃いのであるが、このような場合に偽証の罪を問われた例を知らない。裁判所(裁判官)も検察官も弁護人・被告人も当の証言者も、そして世の人々も「偽証」を咎めない。法廷証言の自由確保に対する暗黙の配慮があると言えば、謙抑的美徳の響きがあるが、実情は、それが広く深く国民性に根ざすが故に、告訴告発、刑事処分といういわば外科的手術になじまないと考えられているのである。すなわち、日本人は神(良心)を持たず、その故に神(良心)に対し絶対的な忠誠を貫かず、いつも世間体を気にし、周囲の関係者や捜査官、裁判所をも気にして、玉虫色に差障りなく供述して生存する道を本能的にかぎとり、身につけて、それが捜査段階の密室における供述、法廷という公開の場における証言となっている。本件における堤竹勇、金井正和の供述態度からもかかる傾向が顕著に窺われた筈である。これが神(良心)を持たず、自我が確立されていない日本人の一般的実像である。このように見てくると刑訴法第三二一条一項各号の規定は、我が国の近代刑事訴訟を支える誇るべき規定ではなく、右のような国民性を前提とし、その中から真相発見という刑事裁判の本来的目的の実現を守るための、苦肉の規定ということになる。それは、いずれいつの日か歴史的な異物として昔語りとなるべき運命にしなければならないであろう。これらの実情に対し、裁判所を中心とする検察官・弁護人ら法曹たる者は、刑訴法諸規定を厳格に解釈運用し、公判中心主義に徹して、法廷における尋問技術駆使による真相顕出に努め、刑事裁判の真の近代化を担わなければならないのである。

ところが、刑訴法第三二一条一項二号書面は、同三号書面とは異なり、法律家としての素養と訴追権限を有する「検察官」による吟味の機会を経ている上、供述者が法廷で証言する場合は、法廷証言に対してのみならず、検察官面前供述時の状況についても反対尋問にさらされることになる。然るに、供述者が死亡し、法廷で証言し得ない場合は、捜査段階における供述時に状況についてすら反対尋問の機会がない。それが刑訴法第三二一条一項三号書面にとどまる場合は、検察官による吟味すら経ていないという点で(検察官による吟味の段階で供述の趣旨が変更される場合があり得る。本件の場合、もし前田克彦がその「供述書」に述べる事由を合理的具体的に説明して質問てん末書の供述を否定したならば、検察官は右質問てん末書の取調請求を断念した筈である)、またそもそも同二号書面が一定の要件の下に犯罪事実認定の証拠たり得るのに、同三号書面は、右同一要件の下でも単に供述の証明力を争う限度でしか証拠たり得ないという点で、両者は、証拠能力ひいては証拠価値に基本的相違があるのである。このように、本来犯罪事実認定の証拠に供せられる価値のない右三号書面が、供述者死亡の由に、何らの反対尋問にさらされることなく、被告人に対する有罪認定のメインの証拠として登場するとあっては、被告人として到底是認できるものではない。かくして、右三号書面の証拠能力の要件の存否及び信用性の判断に当たっては、厳格な解釈と厳密公正な考慮が加えられなければならないのである。

3 さらに右の考察を踏まえ、本件における前田克彦に対する反対尋問権行使の必要不可欠性について論及したい。

(一) 第一審判決並びに原判決は、前田克彦の質問てん末書の供述の特信性信用性判断に当たり、その供述内容や昭和六二年七月二五日付け査察官宛「供述書」の内容、調査に当たった査察官の証言のみによって(医師や妻、事務員らの証言は無視されている)、一義的な判断を下している。しかしながら、それは判示のように理解することも可能ではあるが、弁護人主張のような他の理解も可能である、という意味で、多義的な判断の余地を残すものであって、かかる場合は、反対尋問を経てこそ一義的理解に到達し得るのである。前田克彦に対する反対尋問が必要不可欠とされるべきゆえんはこの点にある。

これをふえんすれば、

(1) 第一審判決は、質問てん末書の供述について「不治の病に犯されていたとはいえ、税務の専門家であるから、課税要件の認識の有無が本件の重要な争点であり、関与税理士である自分の供述が事件に決定的な影響を与えることを十分認識した上で査察官に対して前記のような供述をしたものとみられる。さらに、その供述内容もかなり具体的であるばかりか、課税要件を一度ならず三度までも告げたというのであるから、この点について、前田税理士に勘違いや錯覚があったとは考えにくい。また顧客の正当な利益を擁護すべき立場にある税理士が十分な根拠も確信もないのに、査察官に前記のような供述をするとは思われない。」と判示し、また前田克彦が遺した「供述書」について、その真実性には大きな疑問があるとし、また作成して一年五か月以上経過しているのに、右「供述書」が現実に国税局に送付された形跡がないのであるから、この書面の存在を重視することはできないとしている。

原判決は、前田克彦に対する質問は「あくまで同税理士に対し、参考人として、しかも任意の取調べとしてなされたものであること」を前提として、「昭和六二年四月一五日に、応援要員として前田税理士事務所の捜索差押と同事務所における同税理士に対する質問を実施した」査察官坂倉良晶の証言について、前田税理士は「ただちに課税要件の話をしたことは間違いないが、時期、場所はすぐに思いだせない、と答えた。しかし、同税理士から健康状態が悪いからという申し出もそのような印象も受けなかった。」と供述しており、

「右証言内容に特に不自然な点はなく、また同証人は右期日以降本件査察に直接関与せず、被告人との利害関係は希薄と認められ、また査察当日という作為の入りにくい時点における出来事についての供述であることを考慮すると右証言の信用性は高いと認められる。」とし、同税理士が三回にわたる査察官からの質問を受けた後に作成し、実際には査察官には提出しないまま所持していたと認められる昭和六二年七月二七日付査察官宛供述書についても「その内容は質問てん末書の内容を争うものではあるが、自分の健康状態の悪化を査察官が利用したとの口吻は全くうかがえないばかりか、その内容は、被告人に株取引の課税要件を話したことについて確実な証拠はない。したがって査察官に対する供述を取消すという、甚だ明快なものであって、同人が質問を受けた当時、弁護人指摘のような通常でない精神状態にあったとかそれを査察官が利用したとの状況は全くうかがえない。」として、

「同税理士が被告人経営の会社とともに被告人個人の税務について顧問契約をしていた者であり、特段の事情のないかぎり、被告人に不利益な虚偽供述をする可能性がないことをも合わせ考慮すると、前記質問てん末書には特信状況を認めるのが相当である」旨判示している。

(2) 右一、二審判決に共通しているところは

〈1〉 査察官の調査態度に何ら疑念を抱いていないこと(特に原判決は、四月一五日の調査につき、当該査察官が応援要員であって、本来査察には直接関与せず、被告人との利害関係が希薄であって、査察当日という作為の入りにくい時点における出来事の供述と評価している)

〈2〉 前田税理士の病状につき、その主治医甲田嘉彦が第一審公判において、カルテと所見に基づき、日時を追い具体的に証言した事実を無視していること

〈3〉 被告人と前田税理士の親密度や信頼関係、さらに同税理士の執務姿勢等について十分な考察を加えることなく、単に税理士なるが故に、職務に忠実である筈という建前論によってその供述の信用性を判断していること

〈4〉 前田税理士の深酒等にみられる苦悩や生活態度に秘められた内面を考察することなく、また人間の心理の諸様相を思いやることなく、質問てん末書や「供述書」の表面に表れた字面によってのみ判断していることである。

(3) しかしながら

〈1〉 右〈1〉に関しては、形の上では「あくまで参考人として、しかも任意の取調べとしてなされたものであ」っても、実際には、その意図するところに従って(課税要件告知に関する事実の供述を獲得するため)強制脅迫にもわたりかねない質問を繰り返したことは、証人堤竹勇、同金井正和らの一審証言によっても明らかにされているのであるから、ひとり前田税理士に対してのみこのような調査状況(外形的にはともかく、言葉による心理的強制はいくらでもあり得る)がなかったとは断じ難い。また、たとえ坂倉査察官が、調査当日は応援要員であって、同日以降本件査察に関与せず、被告人との利害関係が希薄であったとしても、そもそも応援なるが故に主体性を欠く姿勢であった筈はなく、さらに、原審証言時、利害関係の希薄であったままの姿勢で証言したものと断ずることはできないであろう。すなわち、原審では、当時の査察のあり方を問われるべき証人となっているのであるから、一審以来の公判経過を踏まえ当時の担当者と(打ち合わせの上)一体となって被告人・弁護人の主張に相対する利害関係の濃い立場で証言台に立ったのは明らかであり、従来捜査官のこの種立場の証言が、その表面の言葉にかかわらず信用性を疑われた数多くの事例に徴しても、査察官の証言が直ちに信用できるとは限らない。

〈2〉 右〈2〉に関しては、すでに前述一2(一)で考察したとおり、医師甲田嘉彦の証言によれば、外形的にも明らかな症状を呈していて、査察官にも当然察知し得たのにかかわらず、これらの状況を否定した査察官の証言は不自然、むしろ意図的なものを感ずるのであって、信用性に問題があるといわざるを得ない。

〈3〉 右〈3〉に関しては、

ア 被告人は、前田克彦税理士の父前田善蔵税理士とは生前長年にわたり親密な関係にあったが、税理士試験に合格することなく、試験免除の大学院に通ってようやく資格を得た上、格別の実績を示さなかった前田克彦とはほとんど口をきいたこともない間柄であったのであり、右善蔵の死後被告人関係の税務に関してはほとんど事務員まかせであった克彦が、株式売買によって損失こそあれ利益をあげていない被告人に対し課税要件を告知した必然性があったとも思われないのである。(なお、克彦が質問てん末書において、被告人に対し前後三回程課税要件を告知したという点も、特に一回目二回目当時、克彦は税理士資格を取得できず、父の事務所手伝いか大学院生であったのであって、一度も話をしたこともない被告人に父をさしおいて課税要件を告げる程の知識と立場にあったとは認め難い。そしてそれなるが故に、右の供述には査察官に対する迎合性が際立つのである)。

イ 査察官の取調態度の一端は、前記山一証券阿倍野支店営業担当者に対し、顧客に対する課税関係の説明をしないというのであれば、会社の指導体制や営業員としての姿勢を問題とするかのごときの口振りで迫った事実からも窺えるのであり(なお、課税要件告知に関し指導したこともないという元山一証券阿倍野支店長山田靖夫、同桝田泰雄の一審証言のみならず、証券業界の不祥事が問題となってひろく報道されているところによれば、原判決が「その職務柄、顧客である被告人に対し一般人が必ずしも知らない税金に関する法的知識を説明し、顧客に不測の損害が及ばないようにすることが重要な職務の一つである」から「高い信用性が認められる」と認定しているにもかかわらず、営業マンが業務拡大に奔走し、顧客との間に脱法的脱税指南こそすれ、課税要件など話題にもしなかったであろう実態が浮き彫りされている。ちなみに「重要な職務の一つ」でありながら、堤竹、金井等の課税要件告知に関する証言は極めて曖昧である)、同種の手段で税理士たる者の建前論をもって忠実な職務遂行を果たした旨の供述を得ることは容易であったと思われる。

〈4〉 右〈4〉に関しては、一、二審裁判官は、癌により身近な者を亡くした経験をもたないかもしれないが、癌告知の有無にかかわらず死を予期した者は、ある者は悲嘆にくれ、しかしある者は表面気丈さを装って我が内心の死の恐怖と戦い、人知れず懊悩の境地をさ迷うのが通常である。このような心境の下に、本件調査を受けた前田克彦が、表面強気に平静を装い、その故に同人の「通常でない精神状態にあったとかそれを査察官が利用したとの状況」を表白しなかったとしても必ずしも不可思議ではないし、一方で被告人にとって命運を決する課税要件につき供述をしたのであるから、それが懊悩を深くしたとしても当然であろう。それが深酒となったかもしれないし、「供述書」の作成になったかもしれない。そしてその「供述書」の内容も、真否のいかんをめぐり、あるいは自治を重視する弁護士と異なり、税務当局との協調を重んずる税理士として、査察官に対し職務忠実の証として、課税要件の説明をしたとあえて供述した迎合性を脱却できず、一方顧客たる被告人を不利な立場に置いたことが良心の呵責となってゆれ動き、それが判示のような表現となったり、査察官に送付するまでの決断に至らなかったりしたかもしれない。弁護人として強調したいのは、人間の表現は人様々、そして状況様々であって、たまたま表現された言葉文章がそれですべてを表しているというわけではなく、それで足りる場合もあれば、いろいろの角度から真意を確かめてみなければ全体のいわんとする趣旨は理解し難い場合があって、判示のように一義的に断定できないという点である。そして、これを確かめる最良最前の方法は前田克彦に対し反対尋問を行使して確かめることであったのである。

(4) このように考察してくると、一、二審判決の判示のような理解が可能であるとしても、それには判断資料としてすべてを公平に検討したとは言い難く、被告人に不利に、査察官に有利に判断した形跡を否定することができない。すなわち前田克彦をめぐる状況は多義的な理解の余地を残しているのであって、これらの疑念を解消する裁判手続上の最良の方途は、前田克彦に対する反対尋問権の行使である。それなくしては、同人の供述に対する特信性も信用性も一義的には決し難い。

4 前田克彦の供述について、以上考察指摘した幾多の疑問が存し、その疑問解消に必要不可欠の反対尋問を経ていない刑訴法第三二一条一項三号書面の証拠能力は許容されてはならない。これを採用して犯罪事実認定の証拠とすることは、正しく憲法第三七条二項に違反するというべきである。

第二、原判決には以下に述べるとおり、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

すなわち、原判決は、第一審判決が認定した「被告人は自分の所得税を免れようと企て、昭和六一年分の実際総所得金額が七億八九三一万四四八〇円であったのに、株式の継続的取引による雑所得の全部を除外するなどの方法により、所得の一部を秘匿して、…内容虚偽の確定申告書を提出して、…合計五億三八五八万七一〇〇円の所得税を免れた」との事実を容認しこれを維持したものである。

しかし被告人は、右六一年分の所得税確定申告書提出の際には株式売買益に対する所得税課税要件について認識はなく、株式取引による利益に対しては、株式売却の際に課せられる税金を納付する外は非課税(その代わり、株式取引により損失が出たとしても所得税法上他の所得からは差し引かれない)であると信じて疑わなかったものである。従って、被告人が自己の所得税確定申告書には株式売買益を申告する義務なきものと信じたことにより、その他の所得、すなわち不動産所得・給与所得を記載して申告したに止まるが、これは自己の所得税を免れるためことさらに内容虚偽の過少申告書を作成したものではない。

このように、原判決には、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、原判決は破棄されるべきである。

一、被告人が株式取引に対する所得税の課税要件(一年間に二〇万株以上かつ五〇回以上の売買)を知らなかったことは、国税局の査察当初より一貫して主張してきたところである。

被告人の右主張が単なる言い訳や責任逃れでないことは、被告人の次のような株式取引の実態や、被告人の全人格的な生活態度からも十分首肯できるところである。

1、被告人の株式取引を見ると、

〈1〉 自己の単一名義のみにより取引を行い、自ら株式売買の申し込みを行っていること

〈2〉 右売買は山一証券阿倍野支店のみを通じて行っていること

〈3〉 右売買に関し、山一証券に対する担保の提供、金銭の支払はすべて被告人名義によって行い、株式取引の保証金の提供や売買益が生じた場合の清算金もすべて被告人名義の銀行口座への振込によっていることから、まことに公明正大であって、調査すれば一目瞭然たる状況下で株式取引を行っているのであるが、

さらに、

〈4〉 被告人の株式取引は、その大部分が信用取引であるところ、目先の値動きによって目ざとく売買を繰り返して求めるという通常の短期決戦型の取引態度をとらず、金利負担にかかわらず六ケ月のぎりぎりに清算することが多く、全体的にみると株式取引そのものを質的かつ量的に悠々と楽しんでいる趣があること

〈5〉 1日の取引回数を少なくするための一口注文や総括表を使用することにより課税を回避しようとしたことはなく、株式取引の回数や数量を課税要件の限度内にとどめるという方法にも全く無関心であったこと

〈6〉 また具体的にみる取引では、例えば昭和六一年一二月二四日現物株の東京ガス五万株を売却して多額の利益を得ているが、すでに六一年中に信用取引により数億円の利益を得てそれに対する所得税率が七〇パーセント以上となるのであるから、六二年に入って処分するなど利益を分散して高税率を避ければよいのに、このような考慮を全くしておらず、およそ課税要件の存在を知らない(取引税ですべて納税済みとの知識のみ)、換言すれば、税に無頓着な取引態度であること

〈7〉 株式売買を被告人の経営していた興亜コンクリート工業株式会社に分散したりして、売買回数を減じたりすることなく、また損失を他の帳簿と通算できる会社を売買主体としていない。また課税の面からだけみても、法人の場合は所得に対し一定額(三〇%ないし四二%)の税率であるのに、個人の場合は税率七〇%以上であったにも拘らず、法人での株式売買としていない。

2、このような株式取引の実情に加えて、被告人の利得や蓄財に対する姿勢をその生涯や処世の中から全人格的に考察してみると、脱税を企図し試みるような人間とはおよそ縁のない人物像が浮かび上がり、そのことからも、被告人が株式取引の課税要件を知らなかったことを肯認することができるのである。

(1) 被告人は刻苦奮励型に加えて先見性に富み、事業に成功する一方で、つとに国家社会に役立つという奉仕的志向があって、戦後いち早く大阪刑務所の服役作業のためのセメント瓦生産に協力し、社会福祉法人羽曳野荘でも収容されている青少年のためにセメント瓦の生産を行った。

そして、コンクリート製品の開発生産の傍ら、用地の必要もあって乞われるまま大阪市内を中心に土地を購入し、これが値上がりによって被告人の財産形成に大いに寄与することとなったが、これを単なる蓄財にとどめることなく、次々に売却して、これが多額の寄付の原資となっている。

(2) 被告人は、土地建物を含め、これまで総計七億五〇〇〇万円以上の寄付を続けてきた。それは出身地愛媛県の西条市や出生地自治会、出身小学校、会社工場所在地の自治体、現住地元地区、赤十字社、共同募金、神社等広範囲に及んでいる(弁二八ないし三三。被告人質問第一六、一七回公判)。これらの寄付の間、被告人はこれを世に広めて宣伝することなく、自ら語ろうとしない謙虚な姿勢を貫いてきたのである(木下稔証言八丁等、なお被告人の第一審での最終陳述参照)。

(3) 被告人は、多くの公私団体の役職を兼ねた実力ある世話役であり、また叙勲褒賞をはじめ数々の表彰を受けている(報告書弁一七、五八)。

詳論を避けるが、被告人は晩年に至って社会奉仕の度を強め、本件査察が開始された当時は、奉仕が主、事業経営が従の毎日となっていた。このような被告人の全人格的考察を抜きにして、本件脱税事犯成否に対する真の判断、洞察はできないであろう。

(4) そして被告人は、昭和六二年四月一五日の査察当日、脱税をした憶えは全くなく、うしろめたいことがなかったので、国税局の捜索の際、被告人の外出を事実上実力をもって阻止する査察官の態度に心底より納得できず、真面目な気持ちでパトカーを呼んだのである。

3、右のような事実を総合すれば、被告人は課税要件を少なくとも確定申告書提出の際に知らなかったのであり、課税を免れるため雑所得を記載しない申告書を提出したものではないとする被告人の弁解は、真実を吐露するものとして優に認定でき、原判決が被告人の弁解を排したのは明らかに事実を誤認するものである。

二、ところで、原判決が被告人の課税要件の認識を認定した証拠は、税理士前田克彦の査察官に対する質問てん末書、及び、証券会社の担当員であった第一審証人の堤竹及び金井の証言によるものとしている。

1、前田税理士の質問てん末書を証拠として採用すべからざるものであることは、既に前記第一で詳論したとおりであるから、再論を省略して、同所の主張をここに援用する。

仮に右質問てん末書が証拠とされる余地があるとしても、前田税理士はその「供述書」に自ら記載したとおり、「被告人に対し課税要件を話したり指導したことはなく、また、被告人から(課税要件につき)相談を受けたこともない」旨言明しており、同人の前記質問てん末書の記載を惜信することはできない。

2、(1) 原判決は、「被告人を担当していた山一証券阿倍野支店営業第一課長堤竹勇が、原審公判で時期やその状況を具体的に記憶はしていないが、被告人に課税要件を一、二回話したような記憶があるとして(第五、六回公判)、その後任である金井正和も、同一銘柄の譲渡株数が年間二〇万株以上の取引に対する課税については、同一銘柄の株式二〇万株以上を譲渡した際に被告人に注意を促したように思うと述べた(第三、第四回公判)点をあげて、被告人が課税要件を知っていた筈」と認定している。

(2) しかしながら、堤竹が被告人を担当していた当時は、被告人が小野薬品株式会社の取引によって億単位の損失を受け、全く利益をあげていない時期を中心としており、このような顧客の状況の下で、課税要件を告げる必要性は全くなく、あり得べからざることと言わなければならない。

堤竹の証言内容も、一般論として課税要件について話をした可能性を述べたにすぎず、「石井さんにと限定されると、ちょっとはっきりあんまり印象に残っていない」と明言している(第五回三四丁以下。第六回公判一四、一五丁)。

一方、堤竹の後任金井が担当した昭和六一年は、株価が高騰し被告人が多額の利益をあげた年であったが、金井が前任者から申送りをうけた従来からの被告人の取引内容は優に年五〇回以上、二〇万株以上の課税要件を超えており、したがって金井はこの課税要件を告げなかったとしつつ、原判決指摘のように、同一銘柄の譲渡株数が年間二〇万株以上の取引に対する課税について注意を促したように思う旨供述している。しかしながら、すでに年五〇回以上、二〇万株以上の課税要件を備えている被告人に対し、それだけで所得税が課税される以上、今更別のそのような課税要件を告げる必要性も必然性もないことは、弁護人の反対尋問に対し金井自身が認めるところである(第四回公判一七丁以下)。

およそ供述の信用性を判断するにあたっては、表面的な言葉によってではなく、その供述のよってきたるところ、その供述を支えるべき客観的状況などを十分斟酌し吟味を加えるべきであって、これなくして何が裁判であろうか。

原判決はこのような背景事情があるにかかわらず、これに反する堤竹や金井の公判供述をなお信用するというのであれば、その理由を説示してこそ迫力ある判示というべきであろう。原判決はこの点について「証券会社の従業員は、職業柄顧客である被告人に対し、一般人が必ずしも知らない法的知識を説明し、顧客に不測の損害が及ばないようにするのが重要な責務かつ重要な業務の一つであることや、時期や機会は明確でないものの、そのような話をしたこと自体はほぼ断定的に供述している…」と判示している。

しかし、証券会社の担当員は建前論としては税金の説明も職務の範囲かもしれないが、現実問題としては、株式売買により証券マンの成績を上げることに専心しており、他人の税金のために自己の業績を落とすことになることは決してしないところであり(第一審証人山田靖夫証言調書一〇丁裏、一二丁裏)、また右金井・堤竹が課税要件を話したと断定していない。原判決は何をもって断定的に供述しているというのであろうか。逆に、右山田証人は、金井証人は課税要件を被告人に話をしたことはないと打ち明けているところである(同調書一五丁)。

(3) ところで、堤竹や金井が右のような供述が存在する由来を査察官の調査態度にさかのぼって検討してみると、その迎合性虚偽性が一層明白となる。

査察が開始された昭和六二年四月一五日当日、金井は山一証券阿倍野支店において勤務していたが、ほとんど行動の自由を奪われたまま右支店において終日査察官の厳しい追求的調査を受けた。数人体制で入れかわり立ちかわりの脅迫的言辞もさることながら、査察官の意にそわない供述をしようものなら、店のシャッターをおろす(平日店を閉めるのは直接店の信用にかかわる)と脅し、また顧客に対する課税関係の説明をしないというのであれば、会社の指導体制や営業員としての姿勢を問題とするかの如き口振り(監督官庁から睨まれたら今後の営業全般に影響をもたらす)で迫っている。証拠を隠滅してはばからない輩もいるのであるから、調査にあたる査察官の苦労も理解できるし、調査のテクニックの必要性を否定するものではないが、本件のように一目瞭然の取引をしてきたものについては、帳簿等証票類を調査すればその実体が速やかに判明する筈であり、また営業担当者等が隠し立てをしていないことも自ずから明らかとなるであろう。さすれば、右のようなきわめて不当な調査をする必要は少しもないのである。本件の場合被告人の取引の実体を逐次把握しておきながら、逆に、事件の成否の鍵として専ら課税要件の告知を引き出すためにのみ強引に追求を続けたところに大きな誤りがあったというべきであろう。

このような状況下の調査で、金井は、当初課税要件を被告人につげていないと素直に供述するのであるが(昭和六二年四月一五日付質問てん末書問三四)、やがて「特別報告銘柄」(株式の買い集め等により証券取引所が指定した銘柄)二〇万株以上の「売買」について申告すべき旨説明したと供述し(問四〇)、被告人の具体的な取引内容が「特別報告銘柄」でないことに気がつくと、今度は金井自身の勘違いで間違った供述をしたと謝り、同一銘柄年間二〇万株、それも売買ではなく、譲渡の場合と訂正されている(金井証言第三回公判四四丁)。これが不勉強な査察官の知識の押しつけと、査察官自身誤りに気付いての押しつけであることは、あまりにも見えすいた演出である。

(4) このような経過の中で、検察官面前調書の供述記載をみると、それが少しも踏み込んだ形跡と吟味のない、質問てん末書の上塗り捜査であることが明らかである。

(5) 原判決はまた、昭和六一年中に課税要件を強化することを報じた新聞記事を拠り所とし、前記堤竹・金井らがなんらかの機会に課税要件を被告人に話したと漠然と述べる供述内容を信用できると認定するのは、原審の理由のない推測に過ぎないというべきである。

なお、第一審が重視した株式課税に関する新聞記事については、被告人は、原則的には毎朝日本経済新聞のほか全国紙数紙に目を通していたのであるから、日本経済新聞の前示記事すべてを「見ていない」というのは不正確な表現であって、「見たかもしれないが、内容については今全く記憶にない」というべきであろう。そのような表現のあやによって信用性を左右することは大人げない仕儀というべきであるが、それはさておき、被告人がかなりの数量の株式取引を始めたのは昭和四八年ごろ、現物取引等になるともっと以前にさかのぼるものであるところ、従来の株式など有価証券に関する税制の変遷をみると、昭和二八年の大改正以来非課税となり、有価証券の移転に対し一〇〇〇分の二の有価証券取引税を課するものとされ、この原則が平成二年まで続けられている。この間昭和三六年に、右原則の例外として、年間五〇回以上かつ二〇万株以上の売買により所得が生じた場合には所得税が課せられることとなったが、被告人が右原則を当然の知識とし、誰からも教えられないまま例外的な課税要件を知らなかったとしても、それはあり得ることとして肯定されるべきである。ことに格別の利益をあげることなく、まして昭和五六年からずっと株式取引の結果がすべて損失とあってみれば、いつか利益が出ることを願いこそすれ、株式売買による所得税に関心を払う必要がなかったとしても異とするに足らない。

被告人が目を通した際、どの程度内容に立入って報道記事に理解を深めたかは証拠上明らかでないが、多忙な被告人としては、一応目を通すというのが習いであったものと認められる。しかる場合見出しはそれなりの関心度に応じて目にとまったとしても、原判決指摘の見出しのみでは、それが現実化して、被告人の行う株式取引に適用されるに至っているとの認識に到達するとは限らない。非課税と思い込んでいる老境一途の被告人に、あらためて非課税要件の説明がなされないかぎり認識が改まらなかったとしても不思議ではないのである。

実際問題として、その頃日本経済新聞の発行頁数は朝刊が大体三六頁、夕刊が一六頁、日曜版だけで一六頁。単純計算しても一年で一万九八一二頁である。検察官が被告人調書に添付した新聞記事は昭和五七年二月から六二年五月ころまでの六三ヶ月分、合計約一〇万頁の中の二六頁を取出したもので、いかにも度々記事があったことを強調するが、実際はほんの一部にしか過ぎない。他方、被告人はといえば、事件当時二〇に余る公職、各種団体の役職についており多忙な毎日で追いかけられるように生活をしており、新聞の内容を熟読することは時間的にも気持ちの上からも出来ない状態であった。しかも、被告人は視力も十分でない。昭和六三年一二月では裸眼視力は〇・四であるが、左は無水晶体のため視力はなく、コンタクト装用中である。その他老人性白内障、網膜血管硬化症などの障害を持ち、新聞を読むことに困難があった。

したがって、このような新聞記事の存在によって、被告人の課税要件の認識を認定するのは無理である。講読新聞により課税要件を認識し得ただろうということと、被告人が認識していたこととは別個の事実である。認識していたというのなら、それならの捜査を尽くすべきであったのに、それがなされていないのである。

なお、原判決は、被告人が大阪府税審議委員であったことを指摘し、当然課税に関する記事に関心を持っていた筈としているが、被告人は、委員として、阿倍野府税事務所での審議会に年二回参加し、遊興飲食税等の収入状況について報告と説明会を開くというだけであって(被告人の昭和六二年八月一一日付質問てん末書)、いわば府税の納税協力を推進する役割を担う集まりを形成していただけで、租税全般にわたる知識を要するものではなく、多分に名目的ないし名誉職的なものであった。このような肩書の故に被告人が租税の動向について特別の関心をもって新聞を見ていたとするには期待が過ぎるものである。

三、原判決は、「被告人は会社経営が長いうえ、戦前から株の取引を継続しておこなっていた、いわば株のベテランであるから、非課税から例外課税へと変化した株式取引に対する課税強化問題のみならず、仮に多額の利益があった場合に税金対策をどうするかというような点について、一般的関心がなかったとは到底考えられない」と判示した上で、「被告人の株取引経験の長さ、株取引の数量の多さから、証券会社では被告人専属の担当者を置いているほどのベテランであったこと、顧問税理士を依頼していた」とし、「新聞による株取引課税の報道と併せて、被告人が株取引益は非課税であると信じていたとの供述は惜信できない」とする。

被告人が経営していた興亜コンクリート工業株式会社に対する法人税については、当然のことながら、利益があれば申告すべき法的義務のあることは了知しているところであるので、正しい申告と納税を行っており、何ら問題があるところではない。会社経営が長いことと、株式の継続的取引に対する例外的課税問題とは全く別個のものであり、被告人は、この株式取引益については株式の売却の都度課税される税金により税はすべて終了しているものと確信していたために、これを含めた所得税申告をしなかったに過ぎないのである。また、株式取引による多額の利益があったとき税金対策をどうするかについて一般的関心がなかったとは考えられないとするが、多額の利益があったときに税制上からも課税の問題が発生するのではない。被告人が株に手を染めたのが古かったことが、むしろ被告人が課税されないと思い込む理由の一つになったとも考えられる。すなわち、昭和二八年に株式取引益の課税は全廃され、その代りに有価証券取引税のみが課せられることとなったのであるが、昭和三六年に至り、例外的に課税されることとされるに至ったが、原則非課税とされていたのである。被告人は、株の取引はいわばギャンブルのようなもので、損失が出ても税金の考慮がされない一方、利益が出ても売却の際の税金徴収の外何らの課税問題は生じないと信じてきていたのである。被告人は年齢当八三才の老齢である。このような被告人にとって新しい課税の知識の修習が十分行われるだろうか。また原判決は、被告人専属の担当者を置いていたというが、そのような事実は全くない。どのような小口の顧客でも、それぞれ証券会社では、取扱担当者を置いている。そして被告人は数年にわたり信用取引による株取引の損失を重ねていたのであるから、これら担当者が、自己の営業成績がマイナスとなる結果をもたらす所得税申告の話をする筈もない。証券取引の実情を原裁判所が知らないから、このような勝手な推測をするのである。さらに顧問税理士がいたというが、前田税理士は、興亜コンクリート工業株式会社の顧問税理士であり、被告人個人としては、単に確定申告書を作成して貰っていたに過ぎないものであった。

四、以上のとおり、原判決があげる証拠は、いずれもその証明力に大きな疑問があるか、ないしはそれ自体きわめて不十分な内容のものであって、それらをいかに総合しても被告人につき課税要件の認識があったことを認定することはできない。

また、原判決は、被告人が過去に課税要件を知っていたと認定し、そのことから直ちに確定申告書の提出行為に逋脱の犯意ありとするが、仮に過去において何らかの機会に課税要件を知り得たとしても、本件被告人が所得税確定申告書作成の際に、逋脱の犯意を有していたとする証拠もない。むしろ、株式取引の実態や被告人の生活態度等から判断すれば、少なくとも、確定申告書作成時には課税要件の認識はなく、また、所得税逋脱の意思もなかったというべきである。そうだとすれば、自己の所得税を免れる意図もなく、ことさらに過少な所得を申告したとは言えず、本件は無罪というべきである。

第三、原判決は第一審判決を容認し、株式売買による雑所得を除外する方法で所得税申告書を提出した行為は、所得税法第二三八条一項の「偽りその他の不正の行為」に該当すると判示して、弁護人の控訴を棄却したが、右は最高裁判所の判例と相反する判断をなしたか、そうでないとしても、所得税法第二三八条一項の解釈適用を誤り、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。

被告人は、前記「第二」で詳論したとおり、株式売買益に対する所得税課税要件について知らず、株式取引による利益に対しては現行法上株式売却の度毎に徴収される取引税を納付する外はすべて非課税であると信じて疑わなかったもので、したがって被告人は、自己の所得税を免れようと企図して昭和六一年分の確定申告書を提出したものではない。したがって、被告人が昭和六一年分の所得税確定申告書に株式取引益(雑所得)を記載せず、給与所得・不動産所得のみを記載した右申告書を税務署長に提出した行為は、「偽りその他不正の行為」により所得税を免れた場合に該当しないことは多言を要しないところである。

しかし、かりに原判決が摘示するように、被告人が何らかの機会に課税要件を知っていたものとの仮定の上に立つとしても、本件のような株式取引ならびに確定申告書提出の諸事情のもとでは、被告人の昭和六一年分の当該所得税確定申告書の提出は、所得税法第二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当せず、無罪であるというべきである。

原判決は、最高裁判所の判例と相反する判断をなしたか、そうでないとしても、所得税法第二三八条一項の解釈適用を誤り、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものであり、いずれにしろ破棄を免れない。

一、被告人は前述したとおり、株式取引に当たり、数店に分散して株式取引したり、あるいは仮名や借名を使用したり売買益を隠匿するなどの、凡そ脱税で考えられる何らの偽りや不正の行為を一切行わず、一見すれば容易に、被告人自身の取引行為であり、その結果の損益も被告人に帰属することが一目瞭然たる方法を用いていた。そのいずれにも税務当局の調査や賦課徴収を困難ならしめるようなものはい。

もしも被告人の不動産所得、給与所得を含めて、所得税の確定申告書を作成せず、税務署長にこれを提出しなかったとすれば、所得税法第二四一条の不申告罪の成否が問題となる程度にとどまり、逋脱犯を構成しないのに、雑所得(株式売買益)を除く他の所得を記載し、わざわざ申告書を作成し、所轄税務署長に提出し、その意味では申告義務(所得税法第一二〇条)を尽くしたのに、何故厳しい逋脱犯が成立することとなるのであろうか。一体、税法体系や税務行政全体の中で、このような事案に対し、逋脱犯というような最も非難度の高い刑罰をもって臨むことが予想され、また妥当するのだろうか。さらには、従来このような検挙処罰例があったであろうか。

二、租税に関し、自己確定申告制を採り、一定の悪質な逋脱犯に科刑する立場を我が国に先行して採用しているアメリカにおいては、行政罰を含む行政的諸制度によって、低費用で確定申告を正確にさせ、徴収を正しくさせ、年間の追加税収を得る方法を講じて実績をあげており、刑事制裁は、きわめて限定的である(財務省の統計によると、年平均二五〇〇人しか刑事訴追されていない)。すなわち、租税法に定められている命令や禁止に対して、刑事罰を科しうる場合は、逋脱目的の行為が、社会倫理感や道徳感からみて、非難に価する度合いが、相当に高い場合に限られなければならないとされており、主要租税犯の成立につき、道徳的非難度の強いものに限定する要件が具体的に要求されている。その要件の第一として、「租税…又はその納税を逋脱し又は無為にする何らかの行為や態様で、意図的に逋脱、又は租税と納税を無為にすることを企図した者」と定められ、ここに「意図的に」というのは、判例上「法律上の義務を知りながら、任意に意図的にその義務に違反する」ことであり、さらに「悪い目的で行為して」とか「悪い動機で」と解すべきものとされている。また、要件の第二として、自然犯や法定犯の場合の「厳格責任」を課す場合に比較して、それらの場合と違って、租税義務と逋脱犯を定めた法律を知っていることが求められている。すなわち、逋脱犯については、法の不知は刑事責任を害し、刑事責任を否定するとされているのである(以上渥美東洋教授鑑定書)。

三、アメリカにおけるこのような逋脱犯に対する特別の配慮は、我が国においても実定法上はもとより、最高裁判所の判例にも生かされている。

1(1) まず旧法時の事犯ではあるが、昭和二四年七月九日最高裁第二小法廷判決(刑集三巻八号一二一三頁)は、「現行法第六九条第一項は詐欺その他不正の行為によって所得税を免れた行為を處罰しているが、それは詐欺その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのである。それ故もし詐欺その他不正行為を用いて所得を秘し無申告で所得税を免れた者はもとより右規定の適用を受けて處罰を免れないのであるが、詐欺その他の不正行為を伴わないいわゆる単純不申告の場合にはこれを處罰することはできないのである。」と判示している。

この判旨は、所得税逋脱の意思を伴った確定申告書を提出しない行為だけでは、所得税逋脱罪は成立しないとするものと理解されているが、判示中「詐欺その他不正の手段が積極的に行われた場合に限る」とし、また「詐欺その他不正行為を用いて所得を秘し」とされている点が注目される。

(2) 昭和三八年二月一二日最高裁第三小法廷判決(刑集一七巻三号一八三頁)は、「所得税法六九条一項によって『詐欺その他不正の行為』により所得税を免れた行為が処罰されるのは、詐欺その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのであって、たとえ所得税逋脱の意思によってなされた場合においても、単に確定申告書を提出しなかったという消極的行為だけでは、右条項にいわゆる『詐欺その他不正の行為』にあたるものということはできない(昭和二四(れ)第八九三号同年七月九日第二小法廷判決、集三巻八号一二一三頁参照)。」と判示している。

本判決の基礎となった事実関係を第一、第二審各判決によってみると、犯罪事実のうち、第一は、収支欠損である旨の虚偽の収支計算書を提出したものであって、右最高裁判決において破棄差戻しの対象とならなかったもの(すなわち不正の手段が積極的に行われている)、第二、第三は、いずれも単に、確定申告書を提出しなかったもので破棄差戻しの対象となったもの(積極的行為がない)である。そしていずれも、被告人において、資材の販売、製材等の営業により多額の利益があがり、該当利益は、工場の新設、住居の新築、トラック数台の購入、預金の急激な増加等の形をとって被告人の財産に帰属していたもので、主として記憶によって取引をなし、貸借対照表、財産目録はもとより、日記帳、元帳等の帳簿を作成していなかったものである。

なお、第二の事実の年度においては、農業所得のみを申告しているが、事業遂行による右所得の不申告とあわせて全体として過少申告とせず、右事業にかかる所得のみを不申告として取り上げ、評価判断されていることは、石井被告人に対する本件の確定申告を評価するに十分に参考にすべきものと考える。

(3) 昭和四二年一一月八日最高裁大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)は、「所得税法、物品税法の構成要件である詐欺その他の不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。…(中略)…所論引用の判例(注、前記(1)(2)など)が不申告以外に詐欺その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告しないというだけではなく、そのほかに、右のようななんらかの偽計その他の工作が行われることが必要とする趣旨を判示したものと解すべきである。」と判示している。

本件の事実関係をみると、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら税務官吏の検査に供すべきを正規の帳簿にことさらに記載しなかったこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、物品複写簿、物品受領書綴または納品書綴によっても右移出の事実が殆ど不明な状況になっていたことがみとめられると指摘されている。

以上の最高裁判例をその事実関係に即してみてくると、逋脱の意図があっても単なる不申告だけでは逋脱犯を構成せず、不申告とあわせて、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作、すなわち虚偽の計算書を作成したり、真実を反映する裏帳簿等がありながらそれを秘匿する目的で正規の帳簿にことさら記載しないなどの作為不作為を伴っている場合に、これを全体として考察し、構成要件該当性を認定すべきものとしているように考えられる。

(4) しかるところ、昭和四八年三月二〇日最高裁第三小法廷判決(刑集二七巻二号一三八頁)が「所論引用の当裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)は『所論所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐偽その他の不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする』とし、したがって、かかる工作を伴わない単なる所得不申告は、右『不正の行為』にあたらない旨判示しているところ、真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為(以下これを過少申告行為という。)自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく(当裁判所昭和二五年あ第九三一号同二六年三月二三日第二小法廷判決・裁判集刑事四二号登載参照)、右大法廷判決の判示する『詐偽その他の不正の行為』にあたるものと解すべきである。」と判示し、本件の上告趣意が「およそ詐偽、不正の行為には確定申告書を提出するに当たり、その事前の工作として何等かの不正の行為があって、それと一体性をもたらさなければならないものを、只単に確定申告書にのみ記載しない過少申告の事実だけによるもの」を詐偽その他の不正の行為と認定したのを不当とした点にあったことから、事前の工作の有無を問わず、過少申告行為自体が、ひろく「不正の行為」に当たるとされる傾向にあるやに窺われる。

しかしながら、右事件の第一、第二判決によれば、問題となった被告人の行為は、「会社に於てその所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであった為め、若し被告人が自己の真実の所得を有の侭に所得税確定申告書に記載すれば累が会社に及び、今後会社から受領し得べき筈のものが受領できなくなる虞れが有り、斯くては会社再建の為に捧げた自己の努力も水泡に帰することを憂え、敢えて真実の所得を隠蔽し、所得金額及び之に相応する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出した」というものである。

右事実関係からすれば、すでに出金の根拠となった会社自体(被告人が再建に尽力したという)に簿外金とするなどの不正の行為があり、そこから支出されたものを被告人において収支明細なきまま秘匿していたことが推認されるのであるから、このような事実関係に支えられた過少申告行為に「不正の行為」ありと評価されてもやむを得ないと思料されるとともに、本件判示にいう「ことさら」もこのような事実関係があればこそ首肯される文言というべきであろう。

なお、前記(2)の判例が、農業所得のみの申告をし、事業所得の申告をしなかった場合に、これを全体として過少申告とせず、事業所得の不申告として評価しているのであるが、本件の場合は、同じ会社からの所得について、会社の簿外金から支出された分を除外した点で右(2)の場合と異なるものと考えられる。これらの点は、(2)で述べたとおり、本件石井被告人の申告行為を、過少申告とみるか、不申告とみるかを検討するに当たり無視できないところがある。

ただ(4)の事件の場合、被告人の過少申告行為が、(3)の判例にいう「その手段として税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作」と評価し得るものかどうか、判例集登載の判決文自体からは必ずしも容易に判断し難いところであるが、出金した会社自体が簿外金としており、自己の真実の所得を申告すれば累が会社に及び、さらには今後会社から受領し得べきものが受領できなくなる虞があり、会社との関連において当該被告人が事前の隠匿工作を行っていることと同一視できる事案というべきものであり(すなわち税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるもの)、当該被告人が単に過少の申告書を提出したものとの評価にとどまるものではないというべきである。

(5) 次に、昭和六三年九月二日最高裁第三小法廷決定(刑集四二巻七号九七五頁)は、〈1〉虚偽過少申告による法人税逋脱罪の点について、「真実の所得を秘匿し、所得金額をことさらに過少に記載した法人税確定申告書を税務署長に提出する行為は、それ自体法人税法第一五九条一項(昭和五六年法律第五四号による改正前のもの)にいう『偽りその他不正の行為』に当たると解すべきであるから(…略……)、所得を秘匿したうえ内容虚偽の法人税確定申告書を税務署長に提出した旨を判示した第一審判決には、逋脱犯の実行行為についての判示に欠けるところはなく、」また〈2〉「右所得を秘匿するため所得秘匿工作をしたうえ逋脱の意思で会社臨時特別税確定申告書を税務署長に提出しなかった場合には、所得秘匿工作を伴う不申告の行為が会社臨時特別税法二二条一項にいう『偽りその他不正の行為』に当たると解するのが相当であるから…」と判示する。

この判決も、過少申告それ自体が「偽りその他不正の行為に当たる」と判示しているようにも受取れる。しかし、この判決の事実関係を見ると、〈1〉の点については法人税を免れようと企て、土地の売上の一部を公表経理上いまだ売買契約の履行が完了していないように作為し、その収益を当該事業年度の収益としないで処理し、故意に収益を繰り延べるなどの所得を秘匿し、また公表経理上架空の売上原価を計上するなどして所得を秘匿して、所得金額・法人税額を過少に記載した法人税確定申告書を所轄税務署長に提出して申告をなしたものであり、〈2〉の点は〈1〉同様の方法により所得を秘匿した上、会社臨時特別税の申告期限までに当該申告書を所轄税務署長に提出せず、会社臨時特別税を免れたとする事案である。

(6) さらに、所得税の重加算税に関する判決であるが、企業経営者が全く記帳せず、納税すべき税額を過少に記載した納税申告書を提出した場合に、重加算税の対象となるかどうかが問題となった事案であるが、これについて納税者がことさらに過少にした内容虚偽の納税申告書を提出して、正当な納税義務を過少にして不足税額を免れた場合には、隠蔽又は仮装した事実があるとして重加算税を課することが相当とする判例(昭和五二・一・二五最高裁判決、昭和五一年(行ウ)九〇号事件)があるが、この事件において代理人がその上告理由で、確定申告書の内容が虚偽過少というだけで重加算税の対象となるとの原審判決の見解では、過少申告加算税が課税される場合との区別が曖昧となり、また過少申告加算税が課せられる場合が殆どなくなるので、国税通則法六八条一項の解釈を誤るものとの主張に対し、最高裁は「原審の確定した事実関係のもとにおいては…原審の判断は正当」として是認している。

この事件の事案の内容の詳細は不明であるが、少なくとも内容虚偽の過少な所得を記載した確定申告書を提出しただけの事案ではないと考えられる。また、この事件の解説として、本判決での「ことさらに過少」というのは、単に無記帳又は無記録というのではなく、積極的に記帳せず又は原始記録や証拠書類を保存せず又は証拠書類を廃棄し若しくは調査担当者に提示を拒否する等の行為があることを指すものと考えるとしていると述べている(『DHCコンメンタール所得税法)三六三八頁、第一法規)。

重加算税に関する「ことさらに過少」の解釈は、当然逋脱犯の「偽りその他不正の行為」の判決の「ことさら」にも共通するものとしして考えるべきであると思料する。

四、右のように、最高裁判例を概観するに、右(1)ないし(3)の判例が、「偽りその他不正の行為」につき積極的な行動が行われたどうかの外形的な基準で判断していたものと見受けられるが、右(3)の昭和四二年の判例では、偽りその他不正の行為につき「逋脱の手段として税の賦課・徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作を行うことをいう」として、租税債権という法益侵害性と結びついたより実体的な評価基準を示したものと考える。すなわち、租税債権侵害という実態的な可能性を基準として「偽りその他不正の行為」に当るか否かを判断すべきものとしたとする判例であると思料する。

つまり内容虚偽の過少申告の作成及び提出行為が、直ちにすべて「偽りその他不正の行為」に該当するとまで概念を広げて解釈することは誤りというべきである(違算や誤算等の過失による過少申告の場合は勿論除外されるとしても、それ以外の場合の過少申告がすべて逋脱犯とする趣旨というべきではない)。

そうでないとすれば、一般に過少申告の場合は、所得申告額が実際所得よりも過少であるとの認識は、通常の場合納税者が有するのであるので、過少申告行為それ自体がすべての場合に逋脱犯となってしまい、逋脱犯の構成要件としてわざわざ「偽りその他不正の行為により」とした規定の意味が全く没却され、構成要件の保障機能が失われてしまうことになるからである。

更に課税上の面からも、過少申告加算税が適用される場合と重加算税の場合との区別が全くつかなくなるのである。また、いわゆる事前の秘匿行為を伴わない無申告の場合の無申告罪(所得税法第二四一条)との刑の均衡を著しく失することとなるからである。

五、弁護人は、本件につき、かりに被告人に確定申告書の内容が過少申告である旨の認識があったとしても、本件の確定申告書提出の行為が全体として「偽りその他不正の行為」に該当するものでないことを以下具体的に論述することとする。

1、被告人が証券会社を通じて行った株式取引の実態は、

(1) 被告人の株式取引は山一証券株式会社一社に限られ、しかもそのうちの一店舗阿倍野支店のみの取引であること。

(2) 株式取引に当たり、被告人の実名のみによる取引であり、仮名、借名等一切ないこと。このような場合証券会社の顧客元帳をみれば、株式取引の一切は一目瞭然であり、売買益の所得を隠す余地は全くないこと。

(3) 株式資金の出入りの流れも銀行二行に限られ、銀行取引も被告人実名であり、裏預金にしたりして、現有財産も在高も明らかであること。何ら隠蔽の作為も存しないこと。

(4) 株式配当金も被告人の銀行の口座に入金され、配当金の受入も明瞭であること。

(5) 株式売買のうち、現物取引により株式を保有している場合には、株式に対する配当金が振込又は配当金受取証が送付されるが、それには既に二〇%の源泉課税がなされ、被告人名義による源泉徴収の通知が所轄税務署長宛になされており、被告人の株式取引がどの程度のものであるかは税務署にある程度明らかであること。

2、右のとおり、被告人には株式取引に当たり何らの虚偽や工作は一切なく、正に堂々としているものであり、そこには租税債権を侵害するような税の賦課徴収を困難や不能ならしめるものは何もないといわなければならない。

さらに、本件確定申告書に記載された不動産所得についても給与所得にしろ、内容虚偽の申告ではない。

所得税確定申告書の内容は、原判決がいうような、つまみ申告というものではない。原判決は、いわゆるつまみ申告というものの意味さえ理解せず、本件をつまみ申告としていることこそ問題である。

本件はこのように単純な過少申告そのものに止まるべきものというべきであり、「偽りその他不正の行為」を伴った過少申告に該るものというべきものではない。本件の事案は、右判例(4)ないし(6)の判例にいう「ことさらに」内容虚偽の過少申告とは異なり、右判例の事案と異にする。

六、本件につき、被告人に過少申告の認識があったことを認定しただけで、直ちに所得税逋脱犯として処断した第一審判決を原審が是認したのは、かりに被告人に過少申告の認識がよしあったと仮定しても、右最高裁判例と相反する判断をしたものというべきであり、そうでないとしても、本件のような場合は所得税法第二三八条一項に該当せず、原判決は同条の解釈適用を誤り、しかもこれ破棄しなければ著しく正義に反するもので、いずれも破棄を免れないものと思料する。

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